八坂公民館
公民館からのお知らせ
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事務所お盆休みのお知らせ
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公民館だより(7月号)
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元気活力講座のご案内(8月開催)
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やさかメモリー(第44回八坂校区文化祭)
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貸館料金の変更について
令和7年7月7日使用分より、貸館料金の変更があります。詳細については、下記の表をご確認ください。
過去のお知らせを表示する
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地区人口2025年4月
5306人 (2024年4月 5142人) -
地区世帯数2025年4月
3447世帯 (2024年4月 3330世帯) -
男女分布2025年4月
- 男2404人
- 女2902人
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館長
小川 勲
所在地 | 〒790-0003 松山市三番町一丁目3-2 |
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電話番号 | 089-921-2231 |
0311@city.matsuyama.ehime.jp | |
設置年月日 | 1950年5月3日 |
施設概要 |
鉄筋コンクリート造3階建て 467.06㎡ |
駐車場 |
一般2台 |
図書蔵書数 | 約4,791冊(H30.1末現在) |
地域の特色 |
この地区がいつから「八坂」と呼ばれたのでしょう。元禄年間の「松山町艦」にはまだ八坂の名は見当たりません。色々な資料によりますと、八坂の名の由来は京都の祇園神杜にまで遡ることができます。明治4年に祇園神杜は八坂神杜と改称されましたが、そのとき古くからあった祇園分杜も「八坂神杜」と改められたようです。そして周辺の町名も八坂町と呼ぱれるようになったと思われます。明治27年12月5目に南八坂町に松山第3尋常小学校が開校し、持田や素鵞の方からも子供達が通っていました。この頃から通学区域を八坂校区と呼ぶようになりました。明治25年3月15日夜の大火事で八坂町辺りの家が50戸余りも焼けてしまいました。その焼け跡に松山第三尋常小学校が建てられたので「焼跡第三尋常小学校」とも呼んでいたそうです。その頃の小学校は木造の校舎で、窓は全部障子張りでした。現在の八坂校区には30の町があります。行政上の住所表示と異なり、昔からの町名の多くが脈々と生きているのが、わが町「ふるさと八坂」です。町の人々の交わり、たとえば地方祭などの諸行事や生活上の色々な点で、今も昔からのそれぞれの街の強い絆を守りつづけています。 |
施設一覧
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- 1階
- 調理室
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- 1階
- 和室1
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- 2階
- 視聴覚室
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- 2階
- 和室2
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- 3階
- 小会議室
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- 3階
- 大会議室
